思い出話を聞かせて下さい。苦労自慢、死にもの狂いで言葉を習得。
日本人が多く、日本語だけで生活できる場所は限られています。
そこで語学の習得が一つの大きな問題になると思います。
ほとんど白紙で現地に入り、寸暇を惜しんで、
死にもの狂いで言葉を勉強しなくてはいけない経験をした方も多いと思います。
今だからこそ語れる苦労話を聞かせて下さい。
特に非英語圏は馴れ染みもなく、大変だったのではないでしょうか。
あのシュリーマンだって原書を丸暗記という、とんでもない努力をしていました。
米国--業務にて赴任
TOEIC 650点
赴任前ーーー米国社員と1対1の会話は,OK
喋れると思っていたが,米人社員が私に合わせた会話をしてくれていた。
赴任後---現地にて,スーパーなど,一般生活での会話に不自由さを感じる。
営業活動の一環で,COLD CALLいわゆる,電話帳で見つけた相手に電話をかけ
担当者と話をしたい旨の会話となるが,受付嬢との最初の会話でつまづくと
即電話を切られてしまう--一瞬でもつまづく,どもるなどで,相手は警戒,
きられます。
きられなくなるまでに,1年経過
更に,顧客との打ち合わせにて,複数の人間の会話では,話に追いつけなくなりました。
1対1では,相手の唇の動きを見ながら,言葉を解釈できます。
複数では,これが無理。
ランチテーブルでの打ち合わせも同じーーー雑談の話題に入れない,3面記事,社会問題の
話題にも入れず,顧客相手の打ち合わせでは,日本時代の半分以下,つまり半人前
会議での司会ーーー議事進行を司り,仕切るにも一苦労,3年掛かりました。
顧客先でのメモーーー日本人は,打ち合わせにメモを多用,聞いた事をメモにする,
しかし,’これをやると相手は一切喋りません。
メモフリーで会話,すべてのキーワードを頭にいれ,打ち合わせを進行。
最初はコンフィデンシャルとはいいながらも,1時間も経過し,打ち合わせ
終了付近になると,結構口から漏れ出てくる重要な単語を聴き取れるように
なりました。
帰社後,あるいは,出張先のホテルで必至にメモを作成,日本側にその日のうちに
送るなど
米人上司へのレポート作成技術ーーー一時,査定が悪く,不要論がでたことも
米人同僚に添削をしてもらい,レポートの的確な内容の伝達ができるようになるにも
時間が掛かった事,
>>>米人社員少なくとも,大学出の米人の英語文章力は,日本人の比ではない事。
数多くの添削の機会を得,問題,誤解の起き得ない表現ができるようになるに
3年かかりました。
>>>日本人の回答には,白黒をつけないグレーゾーンの回答がある。
これを日本語英語で表現すると,相手は,白又は,黒しか判断しない。
ある時の回答は,相手に白と取られ,その後の同じ質問,同じ私の回答をすれど
異なる単語を使った事で,黒と取られた。
結果,私の意思表示が曖昧,カメレオン人間のようなレッテルをつけられたことも
特に上司と合わなかったこともその原因,
言葉の選択に苦労したことがあります。日本で受けた授業英語は役にたたず。
英語の壁は非常に高いものがありました。
大学受験英語は一切役立ちませんでした。
海外の大学一年生の前期はつらかった。
生物学、病理学、薬学などを習ったのですが、大体、日本でも理系が得意でなかったので、
英語が英語でなく、宇宙語か何かに聞こえました。
理系→日本では、多くをいまだラテン語でならってたりして、個人的にはそれが英語だとおもったりと、
よなよな自分の理解力のなさに、泣きました。
英語、ですけど。
アメリカの大学入ってすぐ。テツガク(!)の授業をなぜか受けることになってしまい、(どうして最初の学期に哲学取ったのかもうよく覚えていないです)教科書1ページ読むのに1時間かかりました。次の授業までに20ページ読まなきゃいけないのにこんなペースでどうする?と唖然とする間もなく必死で勉強しました。
文中、人間社会を船で例えている部分がありました。「船」のことをsheと呼んじゃうこと知らなくて読み返せば読み返すほどワケが分からなくなりました。どこのどういう彼女の話をしてるの・・・・?
これでもなんとか授業についていって成績はBでした。
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